普段着の文章

物部俊之 日誌 「私はこう考えますけど、あなたはどうですか」




なるほど、彼は憲法のなんたるかを理解していないのか

なるほど、彼は憲法のなんたるかを理解していないのか、と記事を読んで思います。

首相「自衛隊明記は責任」
9条改憲の議論促す、代表質問
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180124000149

自衛隊員が可哀想じゃないですかと情に訴える風を装う、もしくは、私たちのために頑張ってくれているんですよと、それを憲法を変える材料にしているわけですが。
そもそも、憲法は理想論であると思います。戦争はしない方がよい、戦争はやめておこうというのが、まずは大前提としてあります。
決して、憲法は現状に合わせるものではないわけです。
だから、いま、現在、自衛隊という軍備を持ってはいるけれど、戦争のない世界を願い、憲法の理想をどうすれば、実現できるかを主になって考えるのが政治家であり、首相であると思いますので、その理想を現状に合わせてしまえというのは暴論、無知蒙昧の言動でしかないと思います。
ただ、歴史というものは、理性よりも、感情や欲によって動くものだなぁとも思いますので、いまの決定が、次の世代、その次の世代へと負の遺産を残してしまうかもしれない。
そうなれば、いまの世代の私たちには責任の取り様はあるのか、と自問します。

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ほんやら洞全焼を知る

物部 俊之
2015年1月18日 ·

友人の日記を見て、ほんやら洞全焼を知る。
昼から、その近くに用事があり、10分ほどの場所、足を伸ばす。
前面に防塵用のシートが設置され、横の隙間から、関係者の人たちか、出入りしている。
少し覗き込む、真っ黒の穴になっており、炭の匂いが漂う。
歩道には焼け残った額縁入りの写真が、消火のときの影響だろう、水にふやけて乾かすように立てかけてある。

私より、一世代上で、京都の学生だった人たちにとっては、特別の思いがある場所だろう。

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記事 内田樹の研究室 尖閣インシデント を読んで思うこと

記事 内田樹の研究室 尖閣インシデント を読んで思うこと。
http://blog.tatsuru.com/2017/12/20_1833.php

これは、尖閣諸島をきっかけに日本と中国が戦争になったとき、自国アメリカはどういう対応をするかをシュミレーションしたホワイトハウスからの話ということで。

日本のメディアやコメンテーターだとか、有識者という人たちは、「戦争になったらどうするのだ」という地点から考えたり、もっともらしいことを喋ったりする。
彼らの大前提として、うちは戦争する気はないんだけどね、でも、向こうから戦争をしかけてきたら、対応しなきゃならないじゃん、としている。

私は、戦争というモノは必ず起こるものだという前提のもとで、如何に戦争を向こうへ遠ざけるかが大事だと思っている。
つまり、「うちも戦争仕掛ける」かもしれないという前提を目前に置く。つまり、無幸の私たちが、受身的に戦争に追いやられるのだという前提を廃し、事と次第によっては戦争を仕掛けるかもしれない、私は自衛のための戦争は存在しないという考え方だから、当然、能動的に戦争を仕掛けることもあるだろうとなる。
そう考えるからこそ、戦争を能動的に避けようという発想になると考える。
つまりは、戦争になったらどうしよう考えるのではなく、戦争にならないようにするにはどうしたらいいのだろうと考えるのが、まずは一番の大事なわけだ。
そこのところを抜いて、戦争になったらどうしよう、今のうちに軍備を増やそうだとか、憲法を変えようなどとは、愚としかいいようがない。

70年以上前、鬼畜米英と叫んでアメリカ人は人間でない、鬼だ、自分たちとまったく違う恐ろしいやつらだと国民を認識させ、終わりどころの決めていない戦争を続けた、国民もずいぶんと言葉に踊らされた。
いま、日本人のわりと多くの人たちが、中国、それと韓国に良い印象を持っていないのではないか。
そして、それは、中国や韓国の人たちの中に、日本にあまり良い印象を持っていない人たちが増えてきたということでもあると思う。

ここで、私は鶴見俊輔の「言葉のお守り的使用法」で解説された、単純な言葉、意味のない、でも勢いのあるスローガンというものが、如何に人の考え方に影響を及ぼしてしまうかを改めて思う。

国同士が反目しだしたときこそ、一人一人の国民が他国の人たちと仲良くしたい、仲良くする方がお互い幸せなのだということを思い出していかないと、それこそが、戦争を遠ざける一番の方法だと思う。

 

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子供、銅像と握手していた

2日の新年会の前、四条河原町上がったところに設置されていた銅像。たまに、子供と握手していた。

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うろ 樹祠

古い樹木の
古い樹木には「うろ」ができる。
樹祠と書くらしい、中が腐ってぽっかりと開いた穴だ。
さて、不惑の歳もずいぶんに終え、私の内部にも「うろ」が大きく成長しつつある。
今まで何をしてきたろう。つまりはこれから何をしていこうという気分よりも、残り時間の減少に伴い、お前は何をどうして来たのだという焦りが見上げるほど、大きくなってしまう、これが「うろ」の主たる構成要素なのだろう、天地逆転して私の中の「うろ」が私を飲み込もうとするのだ。
多分、私の他にもこんな気分の人たちが多いであろう。

「うろ」を樹木の祠と言うならば、供え物でも線香でも焚き、それでも、どうしようもないのであれば、とにかく手当たり次第に辺りのモノを詰め込んで、「うろ」の存在を無くしてしまおうと画策するのだが、どうもこの「うろ」は食虫植物の遺伝子でも取り込んでいるらしく、いくら埋めてしまおうとしても、気に入らないモノは消化してしまうようだ。

結局のところ、「うろ」とうまく付き合っていく他ないらしい。
そう思い、頭突っ込んでのぞいてみれば、
案外、含蓄のある文様である。
また、樹液の溜まりが昆虫達の餌となり、なんとなれば、小鳥や小動物の避難場所にもなっているようである。
「うろ」とは案外気持ちのよい、人好しな輩なのかもしれない。
どうせ、死ぬまでつきあっていくのは違いないことであろうし、ならば、うまくやっていければいいなと年頭に思う。

 

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「あなたに届けるカタチの未来」という記事があった

今朝の京都新聞 2018.01.01 で、
「あなたに届けるカタチの未来」という記事があった。
限界集落という表現は知っていたが、不感地帯という表現を初めて知った。
携帯電話の繋がらない集落ということである。携帯電話のアンテナを建てても採算がとれなくてアンテナが建たないらしい。
そこに住む80代の女性と、もう一軒 地域外から転居してきた30代女性のインタビューがあった。

80代は健康面などの不安を語り、30代は携帯からの解放感を語る。

間の世代である私は、健康面も気にかかるし、また、電話嫌いでもあるので、こういうのもありだなと単純に思う。
ここで、少しだけ踏み込んで考えてみるなら。
街に居れば期待する医療サービスを受けることが本当にできるのか。
つまりそれだけのコミュニティが街に成り立っているのかという問いかけである、それは見かけのこんな設備があります、盛りだくさんのサービスがありますというのではなく、必要な時にそれらは機能するのかという実質的な問いかけである。
もちろん機能するだろうけれど、それは期待するほどのものであるのかどうかだ。
解放感と安心は、時として、相反する概念ともなる、解放感をとれば安心が減り、解放感を諦めれば、安心が増す。
どの辺りで妥協するか、これが30代と80代の意見の違いの元にある。ただ、重要な要素として、コミュニケーション能力を忘れてはならない。
内田樹がネットか本で、コミュニケーション能力とは、気の合うもの同士がわいわい楽しくやりとりをする能力ではなく、関係が壊れたときにどう修復するか、その修復能力こそがコミュニケーション能力だと書いていた気がする。
この文章を書くために読み返していないけれど、多分そうだったと思う。
それを一つの要素として世代による意見の違いを見るならば、コミュニケーション能力を磨いてきたか、磨かずにいたかの違いが、健康面以上に大きな要因かもしれないと考える。
コミュニケーション能力ほぼ皆無の私としては、それ以前の問題だと笑われるかもしれないけれど、不感地帯で住むのもありだなぁと思ったりする。

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ほとり・ポトリ

ほとり・ポトリ
近江舞子にあるカフェにて。

グリーン・ウッドワークというものを初めて見た。
http://waku-waku.org/hotori-potori/

私はまったくもって詳しくないのだけれど、ようは木工である。

でも、私の思うところの木工と違うのは材料が生木であるということだ、木を乾燥させていない。
生木を、削り馬という専用の作業台を使って削っていく。
どこかでこの様子、見たことあるぞと思い出したのが、家庭教師のCMでアニメ アルプスの少女ハイジのおじいさんが、がしごし木をげずっている姿、あれである。

上手い人が作った椅子を見せていただいた。高級家具店に置いてあっても、納得するような風格である。

なんか、とっても楽しそうだ。
来年1月から椅子を作るワークショップを始めるらしい。
習ってみたくはある、ただ、私は不器用なので、まずは、スプーン辺りからやってみたいな。

少し思うところ。
社会という分業システムの中で、私や多くの人たちはその中にて、主に「消費」という役割を担っている。
この消費するという立場は、わりと脆弱な存在であり、システムが滞ってしまうと真っ先に被害を受ける、あたふた戸惑う立場にある。
自立していないという役割を担っているとも言えるのだ。
どうも、この立場はあんまり格好良くない。

いまの話で言うなら、自分で椅子を作ることができたのなら、何処かで椅子を買うという行為をする必要がない、そして、作ることができるということは修理することもできるということだ。
つまりは、こと、椅子においては、単なる消費者、例えば、ニトリの顧客であるという立場から独立できた、システムの中から、いくらか、自立したとも言える。
ええ年こいた大人として、自立できていないというのは、ちと、恥ずかしくも思うので、こういうのもかなりありだと思う。
以前から関心のあった里山資本主義にも直結するものだと思う。

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以前、テレビで八王子つばめ無料塾の活動を見て関心を持っていた

以前、テレビで八王子つばめ無料塾の活動を見て関心を持っていた。
いわゆる貧困家庭の子供に勉強を無料で教えるというものだ。
先ほど、思い切って、そういう無料塾にメールを送った、何かお手伝いできませんかと。

私自身の考えの一つとして、明治以来の大学を頂点とする公教育に疑問もいくらかあるし、経済学者 宇沢弘文の東大解体の活動にも納得する。それに、昨今の奨学金の返済問題を考える時、このレールに子供を乗せていくのは、本当にありなのかという疑問もある。
こういったものを含みつつも、なんらかの形でお手伝いしていくのも、単に考えたり思ったりするだけでなく、「行動するのだ」という意味でやってみるのもありかなと思っている。
まぁ、どうなるかはわからないけれど。

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朝、起きがけに夢を見た

朝、起きがけに夢を見た。中学生、修学旅行でのひとときである。
晩ご飯を食べようと全員がぞろぞろと、ホテルの大宴会場へと入っていく、数百人はいるだろうか。
私もそのうちの一人として入りかけたとき、入り口に数人の女の子達が固まっているのが見えた。
その一人がMさんである。
中学生時代、好きだった女の子である。
うわっ、Mさん、化粧濃いなぁと思ったのだが、あっと気づいた、よく見ると、その人はMさんではなく、クレオパトラだった。クレオパトラの目が妙に横長で、私の歩くのを追うように瞳が左から右へと移動していく。
Mさんも私のこと、好きなのかなと思いながら宴会場へと入った。
‭テーブルにつくと料理が並んでいた。ご飯とお味噌汁、だし巻きとお好み焼き風卵焼きが並んでおり、卵ばっかりだとがっかりする。

目を覚ましてから思う。
Mさんに、ね、何処に座るの、一緒に座ろう、と言えるような性格であれば、人生、随分、今と違ったものになっているだろうな、楽しい人生を送ることができたかもしれない。

なお、Mさんとは、数年前に再会した。
ものちゃんやん、久しぶりと声をかけられる。
あぁ、中学生の時、そんなあだ名だったと思い出した。

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自動車は必要か

自動車整備業者としてはあるまじき発想だけれど、こんなに車って必要なのかなぁと思っている。
随分前、「クルマを捨てて歩く! 」(講談社プラスアルファ新書) 杉田聡著と 「自動車の社会的費用」 宇沢弘文著を読んだからなのだけれど、宇沢弘文の自伝があったので読んでみる。
「経済と人間の旅」宇沢弘文著 日経ビジネス人文庫

彼の経済学の難しい本は、私には無理だけれど、宇沢弘文の一般向けに書いた本は何冊か読んでいる。
その彼がどんな人生を送ったのか、読んでいて、これは愉快だと思った。濃い人生を送った人なのだなぁと思った。
フリードマン、破門の話や下村治のことなど、なかなか、楽しい。

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ギブアンドギブ

ユニセフが重大懸念 日本の子供貧困は安倍政権で加速する
https://news.infoseek.co.jp/article/gendainet_432106/

抜粋開始
「子供の貧困対策」は安倍政権の“看板政策”だったはずだ。安倍首相も国会で〈子供の貧困対策は未来への投資であり、国を挙げて推進していきます。
抜粋終了

投資という認識ではいけない。そこには投資した分のリターンを期待する意志が隠れている。投資ではない、ギブアンドギブでなければならないと考える。
ついでに書くと、投資と考える彼は海外の方が優良な投資先と考えてでもいるのだろう、そうならば、彼にとってはリターンのある投資先を優先するということだから、経済人として当然なのだろう。、いや、彼は政治家だったか。
ここ、数年、政治家は金の話ばかりして理想を語らない。

 

 

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悩み・不安・怒りを小さくするレッスン 「認知行動療法」入門 中島美鈴著 光文社新書

悩み・不安・怒りを小さくするレッスン 「認知行動療法」入門 中島美鈴著 光文社新書を読んでいる。

ようは、物事、他人の言動を私を非難し貶めようとしているのだと認識し、悩んだり、不安に思ってしまう、というのをやめる方法である。私は賢い人間ではないので、そんなふうに考えてしまうこともある。
アドラー心理学に興味を抱く根本にそれも大きくある。
メールを送って返事がないのは、あぁ嫌われていたのかなぁと思ったりしたこもあった。アドラー心理学を読むことでそういった考え方は無くなったと思う。この認知行動療法も同じである、これは良い本だ。

自分が思っているほど、他人は「自分」であるところの私のことを思ってはいない、この言葉に救われたなぁと思う。

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京都新聞 ベタ記事だけれど、「ルワンダ虐殺 仏加担 政府委託報告 武器提供」の記事を読む

京都新聞 ベタ記事だけれど、「ルワンダ虐殺 仏加担 政府委託報告 武器提供」の記事を読む。
ようは、ルワンダでの虐殺に使われた武器がフランスから送られたということだ。

隣人が殺人者に変わる時
ルワンダ・ジェノサイド生存者たちの証言

http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ra/0609.html

「隣人が殺人者に変わる時 加害者編」(かもがわ出版)を読んだ私としては、隣人の足をなたで切り落とした証言とか、なたも、おフランス製なのかどうかはしらないけれど、武器を提供するという行為がどれほど悪辣なものかとは思う。

武器というものは、これだけあれば安心という性格の商品ではなく、持てば持つほどより持ちたくなる。
ましてや、その武器を使って焦土にしてくれれば、何もなくなったわけだから、いろんな商品を生活必需品を中心に売り込むことができる。
これだけでも、武器はまっとうな商品ではなく、また、武器を販売する者を「死の商人」と呼ぶに値することが納得できるのではと思う。

日本という国も何やら武器を売って儲けようという方向になっているけれど、自分がされて嫌なことを他人にもしないというのは、人として社会を営む上で、基本中の基本であると私は考えるので、いやなふうになってきたなぁと思う。

よく自衛のための戦争というけれど、人類の歴史上、そんなものは存在し得なかったと私は考えるし、軍備は戦争を呼び寄せる。
つまりは戦争になったらどうするかではなく、戦争にならないようにするにはどうするかが大事だと思っている。


2017.12.14

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福島県民お断りの作文全文!書いた中学生は誰?読んで泣きました! を読んで考える

福島県民お断りの作文全文!書いた中学生は誰?読んで泣きました! を読んで考える

http://vivivigirl.com/fukusimakennminnokotowari/


2016年12月10日 ·

このところ、何か、社会に関わることを考えるとき、私は、水俣病と広島長崎に攻撃された原爆から始めることが多くなったように思う.

水俣病の原因企業 チッソ 垂れ流した有機水銀が水俣病の原因だが、その有機水銀はプラスティックの原料を作ることにより生じたもので、プラスティックを利用したことがないという人はいないだろう、そう考えたとき、水俣病という公害病における、まったく無関係の第三者は存在しないということだ.
そう考えたとき、フクシマに因るまったくの第三者は存在しないことになる。
つまり、記事にある「福島県お断り」など、絶対に言うことのできるものではないはずだ。

さて、ここで話を終えてしまうとつまらないのでちょっとだけ踏み込んでみる.
なぜ、「福島県お断り」と考えるのか.
一つは避難してきた人たちは放射能に汚染されていて、近づけば、自分も放射能で病気になるのではないかという不安.それと、多分、日本人固有のと言ってもいい忌むべきものと考えるものに対しての拒絶感がそう言わせるのだと思う.
これは、本音と建前という分け方をするなら、本音の部分だ.
だから、なにを考えているのですか、非科学的ですよと理屈をつまびやかに説明しても、あなた、それが人としての行いなんですかとなじっても、建前の中に隠された本音を変えることはできない。
本音までに到達しないのだ.

しばらく前から興味のあるアドラー心理学的に言うなら、この人たちは、こういう考えであることを、頑固に自分で決定してしまったということだ。
だから、決定した本人自身がその決定を変更しない限り、変わることはない.ただ、変えない決心もしているので、よほどに難しい.

アドラーが後年、教育に強い関心を見出したのも、今の人を変えていく労力を費やすより、これからの人たちに教育していく方がずっと楽なんじゃないか、と思ったのではないかと、私は、本音のところで思っていたりする.

ま、そんなこんなで、ちょっと、私は絶望感を抱きつつあったりする。

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2017.11.15 核ごみ住民会合に学生動員

核ごみ住民会合に学生動員
委託会社が謝礼持ち掛け

http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20171114000172

発言した学生、つまりは、その会議の中で、記事のように発言したわけで、凄いなぁと思う.
私が10代後半、20代前半のとき、自分がこういう場にあって、がつんと言えるだろうか、自信ない。
財布の中に1万円、臨時収入が入っているかもしれない。
もしそうなら、私は何を売って1万円を手に入れたことになるのだろう。
原発核ごみ説明会に39人動員 委託会社、謝礼を約束 : 京都新聞

原発の高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場候補地絞り込みに向け、経済産業省と原子力発電環境整備機構(NUMO)がさいたま市で開いた住民向けの意見交換会で、広報業務を委託した会社が12人に日当を支払う約束をし、参加を促していたことが14日明らかになった。東京都や大阪府、兵庫県などの説明会では、学生サークル向けに活動場所や印刷物の提供など謝礼を約束し27人を動員していた。

 

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2017.11.12 第2回 堅原のきさき市に出かけてきました

第2回 堅原のきさき市に出かけてきました.軒下マーケット、それに色んな催しもあり、ゆっくり楽しむことができました。軒先に並ぶ出店を覗き、珈琲店があるなぁと入ると、長く会っていない古い知り合いにたまたま出会い、日常から放たれた楽しい時間を送ることができました。
催しの一つ、お寺 龍淵寺で催された常磐津、あぁ、そうか、そりゃそうだろうなと目から鱗が落ちるとはまさしくこのこと。
京都市立芸術大学 常磐津部の演奏があり、聴かせていただいたのですが。
たまにNHKなどで、常磐津や長唄な
んぞ、やってまして、少しばかり見ているのですが、私と御同輩や上の人たちばかり.つまりは、まぁ、それなりに枯れた声の常磐津ばかり聴いているわけですが、今回、なんと声が若い。澄んだ声が響いている.
考えてみれば、江戸時代から明治の初めくらいまでは、いわゆる大衆芸能.テレビでお嬢さんがたがわんさかで歌っていらっやるのと同じ位置にあったわけで、あぁ、そうか、その頃の人たちは、この声で常磐津を聴いていたのだ、これは私にとって嬉しい発見でした.

あと、杖道という古武道の演武を見ました.一杖会、福西小学校で練習をしているとのことだったので、うちの近所.
会があるということは知っていたのですが、見たのは初めてでした.空間を切り裂く気合、凄いものだなと思いました.
私も来春から杖道を教えようと思っているので勉強になりました.
もっとも、私が教わってきた杖道は私の先生が作ったもので、かつ、私の先生は主に太極拳を教えているわけですから、内容的にはまた違った雰囲気があります.
もっと地味でおとなしいです.

できれば、暗くなってからのプロジェクションマッピングまで見たかったのですが、約束があり、最後までいることが出来ませんでした.
それが、ちょっと残念.

https://www.facebook.com/katagiharamatiyatouroukai/
樫原町家灯篭会

 

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2016.11.14 エドワード・スノーデンが

エドワード・スノーデンが「ドナルド・トランプを恐れるべきではない」と話す真意とは?
http://gigazine.net/news/20161114-snowden-not-fear-rump/

記事より抜粋開始
スノーデン氏は、「より良い世界を望むならば、オバマ大統領のような政治家に期待してはいけない。そして、ドナルド・トランプのような政治家を恐れてもいけない」と発言しました。この真意は、「政治家に頼ってはいけない」という点にあります。
記事より抜粋終了

思い出したのが、田中正造の言葉、「我は下総の百姓なり」。ま、この文章を書くために本を読み返していないので、ちょっとした言葉の使い方に記憶違いがあるかもしれません、歳ですから.

これは、議員だった田中正造が議会と決別したときの言葉だったと記憶しています.彼は政治では社会は変わらないと、運動へと身を投じていくわけですが。
スノーデン氏の言葉も同じく、政治家に頼ってはいけない、これは、政治で社会を変えることはできないというもので、明治時代の田中正造が言った言葉と同じかと思うのです.
時代や国が違っても、政治家に頼っていては、幸せな社会を築くことはできない。

自らが組み立てていかねばならないということでしょうね。
そう考えたとき、じゃあ、なんのために政治家って存在しているの、と思うわけですが、私はその解を持っていません。

つづく、かも。

エドワード・スノーデンが「ドナルド・トランプを恐れるべきではない」と話す真意とは?
アメリカのCIAやNSAの局員として情報収集活動に携わったことを告白し、NSAによる個人情報収集の実態を暴露してアメリカに追われ、ロシア当局の協力を…
gigazine.net

 

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2017.11.10 資本主義は

京都新聞 2017.11.10 夕刊 現代の言葉 上田久美子

抜粋開始
資本主義は、大衆の欲望を刺激する装置を用意し、消費を促し、そして次なる欲望のために労働へと駆り立てる.我々は、現実の憂さをひととき忘れさせてくれる様々な装置を欲望し、その多幸感で生きる痛みを麻痺させ、金が尽きればまたその「麻薬」を手に入れるべく労働に精を出す.
抜粋終了

資本主義の始まった頃は、自国の人間を対象にしなくても、いわゆる発展途上国の人たちに売り込むことが出来た、私自身はその是非についても疑問をもっているけれど、それはおいて、さて、売り先がなくなれば、その対象を自国民に向けようとする.
その象徴がまさしくラスベガスであり、カジノであるなと思う.
これは国という組織の崩壊へとつながる.ま、難しい表現をしなくても、みんなが博打打ちになったら、誰も働かないし.
トランプ大統領が日本や韓国に武器・兵器を売りつける.
売り先を自国民から他国民へと変更したわけだ、武力の力で.
アメリカの一部の人たちはそれでよいかもしれないが、こちらとしてはたまったものではない。
不満が募っていけば、戦争へのそれが下準備になる.どんどん、兵器がたくさん売れていいなぁというものだろう。
どうすれば、それを押しとどめることができるか。
それぞれの国にその機能を期待するのは無理だと思う.

一人一人が自分で考え、怒りを強く持つことから始めることで、なんとかなるかもしれないとは期待しているけれど。
新聞記事を読んで、そんなふうに思った.

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2016.11.10 親日国という言葉がある

親日国という言葉がある.私自身はこの「親日国」という言葉を展開していけば、多分、まったく違った印象の何かが浮かび出してくるのでないかと思っていたりする.
さて、せっかくの日本を好もしいと思ってくれていると、すくなくともこちらは思っていたりする国であるのだから、災厄を高値で押し付けなくとも良かったのではと思うし、日本が建設する予定だった、と記事にあるけれど、日本が、ではなく、日本の企業が、ってことだし、だくだくと、日本にだけ税金を払ってくれている企業でもなかろうと思うと、別に残念だと思う必要はなく、いや原爆二つを落とされ攻撃された経験のあるこの国は、原子力の安全利用などと、フクシマを思えば、言えるはずもなく、一寸下は闇、いや、板一枚下は地獄だったっけ。という安逸よりも、日本では地域発電とか小型発電機、太陽発電、多分、原発によって直接の金銭的恩恵を受けない多くの人たちは、そっちでいいんじゃないと思っている、そう、私は思っているのだけれど、原発の建設と輸出はやめた方がいいなぁと思ったりする.
日本が建設する予定だったベトナムの原発、白紙へ 現地メディア報じる
ベトナム政府が、日本とロシアの企業が建設を担う南東部ニントアン省の原子力発電所計画の白紙化に向け、協議を始めることがわかった。
huffingtonpost.jp

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2017.11.08 自分が死んだ後、というのは考えても仕方がないと思う

自分が死んだ後、というのは考えても仕方がないと思う.ま、思いはするのだけれど、なかなか、割りきれるものでもないし.
私自身は、子供がいるわけでもないので遺言書を書く予定だったりする。同姓の従兄の子供にすべて譲るつもりで、もし、何らかの理由で相続を拒否された場合はあしなが育英基金へと思っている、というか、ほぼ、規定路線である。子供の頃から、車の整備という親の仕事、現在は私の仕事であるけれど、車が原因で亡くなったり、大きな障害を持ってしまう、そんな事故に強く関心があったので、交通事故に関する基金についても感心があった。もっとも、それを第一位にしていないのは、名字かなと思う.従兄の子供なら、もちろん、すぐに不動産業者に売り払われてしまうかもしれないけれど、可能性としては、この場所に、名字が残ることが、他と比較して高いかも、それだけであったりする。


青酸連続殺人で死刑判決 「後妻業」映画化で注目も独居老人増え、防止策見つからず- 記事詳細|Infoseekニュース
news.infoseek.co.jp

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