普段着の文章

物部俊之 日誌 「私はこう考えますけど、あなたはどうですか」




統合失調症家族や当事者の交流を 京都でカフェを初開催

統合失調症家族や当事者の交流を 京都でカフェを初開催
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180128000046

かなり関心あり。
うつの診断から、次に統合失調症の診断に変わることが多いような気がする。
以前、友人が、うつは、死にたいとか、そんなふうに気持ちが落ち込む病気ではなく、頭の中が混乱したり、何をどうしていいか判断できなくなってしまう病気だと言っていた。それを思うと、うつから統合失調症へと移行するのは、ある意味、理にかなっている。

人は言葉で考える。そのためには、どれだけの言葉を獲得しているか、それが大事だと思う。
多くの言葉を自分のものにしていれば、混乱する可能性は少し減る、つまり、少し、うつにかかりにくくなるかもしれない。

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2017.05.11 アドラー心理学が劇薬と言われる所以について 1/3

アドラー心理学が劇薬と言われる所以について 1/3
ということで、この頃、入り込んでいるアドラー心理学について知ったかぶりをしようと思う.
ただ、私がアドラー心理学を知ったのは昨秋のNHK 100分で読む名著 人生の生きる意味の心理学 アルフレッド・アドラー を見てからであるので、半年も経っていないということは、始めに書いておく必要があると思う.

さて、当の番組でもアドラー心理学は劇薬である、とされた。実際、私自身もその本を読んで、がつんと幾度も頭を殴られた、そんな気分である.
アドラー心理学の要点の一つに「原因論ではなく、目的論を採用しよう」とある。
これは、あなたがもしも苦しい、辛い状態にあるとするなら、それは過去の過ちやトラウマにその原因を求めるのではなく、未来の目的のため、あなたはその苦しい、辛い状態を選んでいるのだ、だから、もし、現状を変えたい、良くしたいと思うのならば、決心している目的を取りやめ、新たな目的を見つけよう、自分が良くなるような目的を見出そう.過去は変えられないけれど、未来はあなたが変えるのだよ、変えることができるのだよ。だから、あなたは幸せになることを選ぶことができるんだ。

ここまでなら、劇薬というより、砂糖や飴玉、心地よい話である.経験はないけれど、自己啓発セミナーなんかは、こんなことをホワイトボードを前にして語っているのではないかなとか思ったりする.

この「原因論ではなく、目的論で」、なんだか、とっても前向きで気分の良い文言であるけれど、アドラー心理学では無意識ということについて、非常に厳しい、それによって、この、目的論という考え方も非常に厳しいものになる.

「無意識で、つい」、「ちょっと、ぼぉっとして、うっかり」、「ついつい、知らない間に」、言い訳の接頭語がわりに、こういった文言を使ったことがないという人は少ないだろう.つまりは、わざとじゃないんだら、許してくれよ、と言っているのだけれど、アドラー心理学はそれを許さない.
アドラー心理学をアドラー自身は個人心理学と呼んでいたらしい。
この個人とは分割できない基本単位という意味合いである.
つまり、無意識もあなたという個人のうちにあり、意識的にすることと同じく、その責任はあなたに帰属するという考え方だ.
単純に言えば、無意識でやったということも、あなたの責任だよ、ということである。

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