普段着の文章

物部俊之 日誌 「私はこう考えますけど、あなたはどうですか」




補助金交付

匿名性と合わせて書いてみたい、あとで。
続き
 
私は明治大正昭和の歴史を考えたとき、朝鮮学校こそ、最初に補助金交付が必要だと思っています。こういうことを書くと批判されるかも知れませんけど、何故、ここにこの人たちが居るのかを考えれば私の考えはそれほど不合理ではない、そう思っています。
 
さて、この事件は現代のいろんな興味深いものを内在しているように思います。
先程、仕事から戻ってきてへたばっておりますので一つだけ。
 
懲戒請求をした人たちの多くが、送ったことを悔いているようですね。
この点について、匿名性から論を始める人が多いと思いますので、私がちょっとだけ、ずれた視点から書いてみます。
 
「結果良ければすべて良し」
この言葉のもともとは、いろんな辛いこと、不満なこと、あれこれあったけれど、完成したのだから、最終的には上手くいったのだから、良しとしようよ、ということで、ある意味、慰めの言葉であると思っています。
ただ、この言葉、現在ではどうでしょうか、そのように受け取られているでしょうか。
 
私たちは小学校から中学、その後、受験し合格すれば、高校、大学と、また、公の教育を受けてきたわけですが、その過程の中で、「結果」を重視するという学習をしてきたのではないでしょうか。試験の結果で人生も変わってしまう、そんな一喜一憂を経験していく中で「結果」が大事であるのだという考え方を身につけてきたのではないか。つまり、「経過」をかるんじてきたのではないか、ということです。
大学の入学試験でも、合格すれば良し、受からなければ、どんなに努力をしても意味が無い、そんな考えかたになってはいないでしょうか。
つまり、良い結果さえ残すことができれば、途中経過には意味が無い。
カンニングも、論文の資料捏造も、それが明白に現れた結果ではないでしょうか。
 
つまりは、「結果だけ良ければそれで良し」ということです。
さて、今回の事件で、懲戒請求を送った人たちについて。
彼らの「結果」は「懲戒請求を送る」という行為です。
「経過」は、送ることが日本を良くすると思ったなど意見がありましたが、送るまでの「思案」、これが「経過」です。
しっかりと「経過」を通れば、懲戒請求を送るという行為は「しないでおく」という結果に落ち着く可能性の方が大きいのではないか。
つまり、現代人は結果だけを見て、途中経過を考えない、このことと、その匿名性が敷居を下げてしまった、ということではないのかな、なんて思いました。
 
(なお、私の文章は言いきらずに「思いました」と終えることが多いのですが、これも、言いきらないことで逃げ場を作るということです。)
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