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Jul 27, 2018

「集団の論理」って、何かなって考える

「集団の論理」って、何かなって考える。

抜粋開始
裁判官になりたての頃、先輩裁判官に言われた。「人間というのは怖いものだよ。大きな組織に入ると、そこの論理に支配される」。教団に従ったかつての若者たちの姿が、いまその言葉に重なる。「人間は弱い。組織に命令されたら簡単には断れない」
抜粋終了

集団の論理というのは、その集団を存続させるための論理と解釈してしまうといけない。集団の論理とは、その集団を守るように見せかけて、集団の中心的個人、大きな声の個人、偉そうにしている個人を守る、利益を誘導させるための論理であり、特定の集団において、集団の論理が問題となる時点で既に、その集団は私物化されていると考える。と、記事を読んで思った。

記事では、人は弱いから組織の命令を断れないとあるけれど、もう一つ、人は無関心だから組織の命令を断らないってこともあると思う。
度々、記事等で国民と警察、国民と機動隊、国民と自衛隊がぶつかっている様子がある。そもそも、どうしてぶつかるのかなと思う。
機動隊の中から、こういうの、嫌だから脱退する人って出てこないのかなと思う。
「イントレビットの4人」という映画を以前見た、その映画を思い出す。
ベトナム戦争時、この戦争はおかしいと脱走したした兵士の話だ。

無関心とは空っぽの入れ物のようなもので、そこに何をどう詰め込まれてしまったかが問題だ、脱走兵の話と合わせて考えれば、違った風景が見えてくるかもしれない。


【オウム死刑執行】林郁夫受刑者、岡崎死刑囚…17人と向き合った法廷 元裁判長「集団の論理に支配」

産経ニュース / 2018年7月27日 7時15分
https://news.infoseek.co.jp/article/sankein_afr1807260063/

 


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