普段着の文章

物部俊之 日誌 「私はこう考えますけど、あなたはどうですか」




ふれあいホーム 「どうぞ」

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取引の業者さん、車の内張りだとかの修理交換のお店、用事があり行ってきたのですが、ふと、そのお店の裏側のお店の店名「はい、どうぞ」。変わった名前だな、何屋さんかなと少しばかり覗き込む。店は既に営業時間を終わっていましたが、入り口にチラシ、子供食堂とあります。

http://www.eonet.ne.jp/~douzo/
ふれあいホーム 「どうぞ」というNPO法人らしい。

 子供食堂の他、歌声広場やほっこりサロン、あぁ、こういうの面白いなと思いました。
 人は居場所が多い方がいい、居てもいい場所、そこに行けば誰か居て、お喋りも出来る、そんな場所があればいい。

子供食堂は子供100円、大人300円。年齢に関わらず来てくださいとのこと、ま、もっとも、こんなおっさんがやって来ては警戒されるでしょうから行きませんけど。

去年辺りから、近くのお墓に寝起きしていたおばあさんがおりまして、少しばかり噂になっておりました。
 人の話を聞くと、娘と暮らしていたのだけれど、折り合いが悪いらしい。いくつかのお墓を転々とし、警察や近所の人たちがやって来ると、逃げだし他のお墓に移るとのこと。

お墓に布団を敷いて寝ているらしい。冬は寒かっただろうなと思いますし、雨はどうしているのでしょうね。

結局、「居てもいい場所」が無くなってしまうと、こういう状況になるのでしょうか。
 家庭というのは、いざ、壊れてしまうと、修復はかなり難しい。
 鶴見俊輔著 「家の中の広場」
この文章を書くために読み返してはいないので、曖昧な記憶ですが、日本の家屋は襖で仕切られている、鍵の掛かるドアがない、それは、見方を変えれば、家族がいきなり襖を開け、包丁を寝ている自分に突き立ててもしょうがないと思える関係、もしくはそんな可能性は皆無であると思うことのできる信頼感が家族には必要、多分、そういう感じのことが書かれていたような気がします。
つまりは、その信頼が少しで揺らいでしまった時、日本の家族は成り立たなくなってしまいかねない。

先日のニュースでもあった、70代の父親が40代の息子をプレハブ小屋の中に設えた牢屋に閉じ込めていたという事件。
 二人は確かに家族であったはずなのに、檻という部屋に鍵を付けるという行為に至った。

多分、家族という繋がりは、思っているより、かなり脆いもので、脆いものであるということを前提に関係を大切に繋いでいく方が生きていきやすい。
 「家族だから」何をしても構わない、許してもらえる、そういった意識は止めて、繊細に関係を継続していくようにしなきゃならないのでしょうね。

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