普段着の文章

物部俊之 日誌 「私はこう考えますけど、あなたはどうですか」




「あなたに届けるカタチの未来」という記事があった

今朝の京都新聞 2018.01.01 で、
「あなたに届けるカタチの未来」という記事があった。
限界集落という表現は知っていたが、不感地帯という表現を初めて知った。
携帯電話の繋がらない集落ということである。携帯電話のアンテナを建てても採算がとれなくてアンテナが建たないらしい。
そこに住む80代の女性と、もう一軒 地域外から転居してきた30代女性のインタビューがあった。

80代は健康面などの不安を語り、30代は携帯からの解放感を語る。

間の世代である私は、健康面も気にかかるし、また、電話嫌いでもあるので、こういうのもありだなと単純に思う。
ここで、少しだけ踏み込んで考えてみるなら。
街に居れば期待する医療サービスを受けることが本当にできるのか。
つまりそれだけのコミュニティが街に成り立っているのかという問いかけである、それは見かけのこんな設備があります、盛りだくさんのサービスがありますというのではなく、必要な時にそれらは機能するのかという実質的な問いかけである。
もちろん機能するだろうけれど、それは期待するほどのものであるのかどうかだ。
解放感と安心は、時として、相反する概念ともなる、解放感をとれば安心が減り、解放感を諦めれば、安心が増す。
どの辺りで妥協するか、これが30代と80代の意見の違いの元にある。ただ、重要な要素として、コミュニケーション能力を忘れてはならない。
内田樹がネットか本で、コミュニケーション能力とは、気の合うもの同士がわいわい楽しくやりとりをする能力ではなく、関係が壊れたときにどう修復するか、その修復能力こそがコミュニケーション能力だと書いていた気がする。
この文章を書くために読み返していないけれど、多分そうだったと思う。
それを一つの要素として世代による意見の違いを見るならば、コミュニケーション能力を磨いてきたか、磨かずにいたかの違いが、健康面以上に大きな要因かもしれないと考える。
コミュニケーション能力ほぼ皆無の私としては、それ以前の問題だと笑われるかもしれないけれど、不感地帯で住むのもありだなぁと思ったりする。

[/Thought] permanent link e

最近の同じ項目の記事です

  1. 「われわれの小田実」を書店へ受け取りにいく
  2. 一軒隣りの中国ではえらいことになっている
  3. 「お前が言うな」という反論を恐れるな
  4. 途中 
  5. 記事 内田樹の研究室 尖閣インシデント を読んで思うこと
  6. 以前、テレビで八王子つばめ無料塾の活動を見て関心を持っていた
  7. 自動車は必要か
  8. 京都新聞 ベタ記事だけれど、「ルワンダ虐殺 仏加担 政府委託報告 武器提供」の記事を読む
  9. 福島県民お断りの作文全文!書いた中学生は誰?読んで泣きました! を読んで考える