普段着の文章

物部俊之 日誌 「私はこう考えますけど、あなたはどうですか」




数年ぶりだろうか、通しで2時間テレビ番組を見た

数年ぶりだろうか、通しで2時間テレビ番組を見た。

音楽チャンプ http://www.tv-asahi.co.jp/ongakuchamp/
素人参加型カラオケ選手選だ。
よし、人前で歌ってやろうかという人たちである、私のような門外漢でも上手いなぁと思う。
最後の二人、両方共上手かった。
私は今回2位になった子が1位かなと思ったのだけれど、あぁ、なるほどと思う。
2位になった子の方が技術的にちょっと上だったと思う。だから、私はその子が1位かなと思ったわけだ。
歌ってのは、奥が深いなぁとつくづく思う。

1位の子は情感を巧みに表現していた。いや、巧みという表現は適切ではない。
声が情感そのものだ、これは後天的に身につけたものというより、生まれ持ってのものかもしれない、そう、思わせるものがあった。
カラオケの採点機では2位の方が点数が高かった、つまりは人間の審査委員がそれを補う高得点を与えたということで、なるほど、歌ってものは深いものだと思ったわけだ。

久しぶりに山本美絵の歌を聴く。
https://www.youtube.com/watch?v=fLZ_oEoP68w

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「集団の論理」って、何かなって考える

「集団の論理」って、何かなって考える。

抜粋開始
裁判官になりたての頃、先輩裁判官に言われた。「人間というのは怖いものだよ。大きな組織に入ると、そこの論理に支配される」。教団に従ったかつての若者たちの姿が、いまその言葉に重なる。「人間は弱い。組織に命令されたら簡単には断れない」
抜粋終了

集団の論理というのは、その集団を存続させるための論理と解釈してしまうといけない。集団の論理とは、その集団を守るように見せかけて、集団の中心的個人、大きな声の個人、偉そうにしている個人を守る、利益を誘導させるための論理であり、特定の集団において、集団の論理が問題となる時点で既に、その集団は私物化されていると考える。と、記事を読んで思った。

記事では、人は弱いから組織の命令を断れないとあるけれど、もう一つ、人は無関心だから組織の命令を断らないってこともあると思う。
度々、記事等で国民と警察、国民と機動隊、国民と自衛隊がぶつかっている様子がある。そもそも、どうしてぶつかるのかなと思う。
機動隊の中から、こういうの、嫌だから脱退する人って出てこないのかなと思う。
「イントレビットの4人」という映画を以前見た、その映画を思い出す。
ベトナム戦争時、この戦争はおかしいと脱走したした兵士の話だ。

無関心とは空っぽの入れ物のようなもので、そこに何をどう詰め込まれてしまったかが問題だ、脱走兵の話と合わせて考えれば、違った風景が見えてくるかもしれない。


【オウム死刑執行】林郁夫受刑者、岡崎死刑囚…17人と向き合った法廷 元裁判長「集団の論理に支配」

産経ニュース / 2018年7月27日 7時15分
https://news.infoseek.co.jp/article/sankein_afr1807260063/

 

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